山田 雄大 |スタッフ紹介|たけひろ建築工房で働くスタッフの紹介をしています

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スタッフ紹介

本社 代表取締役

山田 雄大 / やまだ たけひろ

私の物語:デザインの道から建築家への歩み

学生時代、私はスケートボードに夢中になっていました。当時、日本ではスケートボードはまだマイナーなスポーツでしたが、仲間とともに栄の街で練習に励んでいました。海外のPVビデオで見るスケートパークに憧れ、日本にもそんな場所があればいいのにと思っていた矢先、「ないなら自分で作ればいい!」と決意したのです。そして、「ないものを作るのはデザイナーの仕事だ!」と勘違いし、大学進学を辞めてデザインの専門学校に進む道を選びました。

デザイン学校に入学してみると、自分よりも優秀な生徒がたくさんいることに気づき、挫折しそうになりました。そんなとき、建築家でもある講師の先生に相談しました。その先生からは、「デザイナーになるには2割のセンスと、残りは勉強と努力だ。芸術家とは違うから、誰でも目指せる」との励ましをいただきました。「では、私にもなれるでしょうか?」と尋ねたところ、「心が折れなければ、必ずなれる」と答えていただき、自分にも希望があると感じました。

しかし先生はこう付け加えました。「ただし、大学の建築学科に行かず、この学校を選んだのは遠回りだね。建築デザイナーになるには、基本的な建築知識が必要だから、大学での学びも大切だった」。その言葉にショックを受けました。大学への推薦を辞退した際、周囲から反対されながらも意固地になって進んだ道だったので、自分の判断が間違いだったとは認めたくなかったのです。それでも、その言葉をきっかけに自分の決断を肯定するために、「将来必ず建築家になろう」と心に決めました。

それからは、学生時代に建築に関するさまざまなアルバイトに挑戦しました。将来店舗設計もしたかったため、飲食店やショップでのアルバイトも経験しました。卒業時には設計事務所から内定をいただきました。そこで10年勤めれば独立開業も可能とされていましたが、卒業直前に「何か違う」と感じ、その内定も辞退しました。理由は、有名な先生のもとで働くことで将来的に「〇〇先生の弟子」という肩書きがつき、仕事をもらえるかもしれませんが、それは自分の実力ではないと思ったからです。

次に、現場から学ぼうと決意し、土木会社に就職しました。スコップを握る作業員としてスタートし、その後重機オペレーターの経験を経て、工務店に転職しました。ここでは現場監督として家づくりに携わることができました。

経験から生まれた理念

工務店で現場監督を務める中で、同じ予算や建材、仕様でも、関わる営業スタッフによってまったく異なる家が出来上がることに気づきました。そして、それが住む人々の生活に大きな影響を及ぼしていることも実感しました。

たとえば、嫁姑問題を抱えるご家族が家を建て替えたことで家族円満になったり、新婚さんが2世帯住宅を建てた結果、別居することになったり。あるいは、内気だったお子さんが家を建てたことで社交的になったり、夜な夜な飲み歩いていた旦那さんが家飲みを楽しむようになったりと、家づくりが暮らしに与える影響は計り知れません。

このような経験を通じて、「家づくりはこうあるべきだ」と多くの気づきを得ました。しかし、当時勤めていた工務店では、現状を変えるには多くの時間と労力が必要でした。たとえば、一つの改善案を実現するのに3年かかりました。1年目は提案を続け、2年目には自ら設備投資をして実績を出し、3年目にようやく本社に認められ全店舗に共有される、といった具合です。

この経験から、「気づいた人間が自ら行動を起こさなければ何も変わらない」と強く感じ、会社を退職して独立開業を決意しました。

経営理念に込めた想い

こうして生まれたのが、私たちの会社の経営理念です。「家づくりはこうあるべき」という想いを具体的な方針として掲げ、日々の業務に取り組んでいます。

ここに至るまでのストーリーや、開業してからの歩みなど、まだまだお伝えしたいことがあります。ご興味のある方は、ぜひお気軽にお声がけください。

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